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政治改革とましこ輝彦
     
   1989年のリクルート事件に端を発する「政治改革」。それは「政治とカネ」をめぐる問題から始まり、腐敗した自民党の改革、選挙制度の改革、政治倫理の確立など、「政治家」あるいは「政治」のあり方そのものを問い直す大きなうねりとなりました。
 この「政治改革」実現のため、当時自民党に所属していた増子輝彦は誰よりも情熱を傾け、後藤田正晴氏(元副総理)、伊東正義氏(元副総理)、海部俊樹氏(元総理)、鳩山由紀夫氏(元民主党代表)、小沢一郎氏(元自民党幹事長)、鹿野道彦氏(元農水大臣)、岡田克也氏(元民主党代表)らと活動を続けました。そして、自民党青年局長を務めながら、「政治改革を実現する若手議員の会」の中心メンバーとして、党利・党略を超えて東奔西走したのです。
 自民党一党支配が生み出した「政治腐敗」。そして「官僚主導型」の政治。「政・官・業の癒着」構造を断ち切るため、増子輝彦は政治改革への努力を重ねました。しかし、残念ながら自民党は旧態依然。自らの再生を果たすことを放棄したために、国民の政治への不信を一掃するため、増子輝彦は自民党を離党しました。そして、政界再編を促進し、政権交代可能な二大政党制実現への決意を固めたのです。
   
   1993年、増子輝彦は「政治改革法案」衆院本会議採決で修正政府案に賛成の白票を投じました。当時自民党は野党であり、党議拘束に反する行動でしたが、「政治改革」への信念を貫いたのです。
 これに触れた記事が最近、朝日新聞に掲載されました。同編集委員・星浩氏の「政態拝見」というコラムです。タイトルは「小泉氏の『造反』 小選挙区制との皮肉な関係」。内容を以下に紹介したいと思います。
 93年の衆院本会議。「政治改革法案」をめぐり、非自民細川政権の連立与党と野党に転落した自民党は激しい攻防を続けていた。政府案は小選挙区定数274、比例代表定数226。自民党案はそれぞれ300と171。この時、現・小泉首相は自民党の一議員として政府案には党議に従って反対したが、自民党案には棄権した。同じく棄権した自民党議員は増子輝彦ただ一人。ところが「同じ棄権でも、2人の立場は違っていた」と、星氏は指摘します。「増子氏は小選挙区制の早期実現を訴え、小泉氏は『中選挙区制で定数是正をすればよい』という考えだった」。
  その後、細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁のトップ会談で両者は歩み寄り、選挙制度改革はようやく実現することになるのです。
 「『それにしても』と、増子氏は言う。『小選挙区制が定着すると、派閥が弱体化し、総裁など党執行部の力が強くなる。選挙制度の改正に反対だった小泉さんが小選挙区の恩恵を受けて“強い首相”になった。皮肉な巡り合わせですね』」。
 小泉総理と増子輝彦の不思議な関係が読み取れて興味深い。
 
   

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